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加速するシンギュラリティ(マッハ新書にしようと思ったけど結局公開する)

皆、シンギュラリティを加速してる?私は…これからもっと頑張るよ!

 

対象読者

シンギュラリティを加速したいけどどうすればいいか分からない人、シンギュラリティを加速するってのはどういうことか分からない人、それから、世界が情報過多って人。

 

これを読んで参考にしてくれたらうれしい。感想や意見はこちらへどうぞ。マシュマロに投げてくれてもコメントしてくれても、どれでもいい。ツイートで拡散してくれても…とにかく反応は大歓迎。気に入った人はAmazonほしいものリストからお布施してくれてもいい。(作者がめっちゃ喜びます)

ritomath (@ritomath01_05) | Twitter

 

それではどうぞ。

 


加速するシンギュラリティ
 著者 ritomath

前書き
シンギュラリティと聞くと大層なものだと身構えたくなる人も多いだろう。社会で今何が起きているのか、把握しきれなくなっている人が多いはずだ。私も全ては把握できない。すべて把握できている人などいないはずだ。にもかかわらず、未来学者を名乗る人種は、なぜ今のことを飛び越えて未来を語るのか。未来の予測はできないとか、曖昧に言葉を濁して考えを放棄する者もいる。私が筆を執ったのは、世界で起きていることの大筋をどのように解釈すればいいかについて、皆の助けになれたらという思いからである。
シンギュラリティこと、技術的特異点という思想について、あまりに情報が多すぎる。重要なのは木の幹や根っこの部分である。枝葉末節は文字通り、後から知識をつければよい。まずは知識の幹となる部分の解釈を得ることで、これから読者が得る情報が、シンギュラリティという解釈を通すことで脳内で整理されやすくなるようにするのが本書の目的である。最後まで付き合ってくれる読者の方には感謝の気持ちとともに、この先の未来を変えていく同志として応援も送りたい。
スペシャルサンクス
この本を書くきっかけを作ってくださった皆様。バーチャルな界隈の皆様。特に、秘密結社シンギュラリティの時計の皆様には特別の感謝を。

1.技術の本質
シンギュラリティとは何か。技術的特異点と言われている。これはどういった過程を経て到達する状態なのかを、過去を振り返りながら考えよう。
どこまで遡るか。まずは控えめに、人類が技術を手に入れたところから話をしたい。
技術とは何か、そして何故大切なのか。テクニック、テクノロジーといった言葉を思い返してもらえれば少しは明瞭になるだろう。これは、便利をもたらすものであり、
「不自由を解消するもの」
である
ここでポイントとして述べておきたいのは、不自由は目に見えないことが多いというところである。例えば、我々が電気による照明の類を持たなかったころは、火が明かりであった。これは、今の我々からすればあまりに不便である。大量の燃料を必要とするし、火事も心配だ。だが、電気の存在が知られていなかったころはこれは、特に不便さを意識されなかったはずである。例えば未来の人間が、「天候も管理できないなんて…雨の日は傘をささなくてはいけないとは、当時の人は随分と不便だったんだな」と言ったとしても我々にはピンとこないだろう。確かに不便さは感じているが、これを当たり前のものとして受け入れている。
どんな時に不便さを感じますか?と聞かれて、「雨が降っているとき」と答えられる者は多くないはずだ。
さて、話を脱線させないように戻す。まとめると、

不便さは目に見えにくい。
技術は不便を解消する

ということである。我々は狩猟採集による不便さを解消して安定的に作物を供給し、子孫を増やすことを可能にし、定住し、外敵の存在から逃れた。全ては技術によって成し遂げられた。ここでもう一つポイントだ。

技術は、暇人が作る

暇人というと言葉は悪いが、食料や住む場所に困っていたら、技術を生み出す時間を確保するのは極めて難しい。食料が安定している地域に住んでこそ、技術を開発する余裕があるのだ。農耕民族の方が安定して食料を確保できるからこそ、生活に生まれた余裕は技術の開発に向けられる。また、食料の安定は技術者階層(専門家)の育成を可能にする。これは、余剰作物が発生することで、農業に参加せずとも食べていける者が出てくるからだ。他の民族との争いや戦争は、当然高度な軍備を備える側が強い。食料の確保に全人口を使わないといけないようであれば、食料を気にせず技術開発に取り組める人を有する集団に対して不利だ。無論、人口が多い方が有利に働くことは多い。人口を支えられる構造の社会であれば、という話だが。
他の社会集団に対して有利な社会集団は、生き残る。長い目で見れば、農耕民に土地を占拠されたり争いに負けたりすることで、狩猟採集民は住む場所を失って数を減らしていった。


2.技術と生存
我々シンギュラリタリアンの仲間には、怪しい言説をする者が確かに多い。例えば有名なカーツワイル。「パラダイムシフトが起こるまでの時間は加速している」などと述べている。パラダイムシフトの定義もせずにである。生物が登場してから人類が登場するまでにどれほどのパラダイムシフトが起きたことか。定義できたとして、それを全て数えるなど不可能だろう。前の章で技術は不便を解消するといった。更に言えば、不便は当然生物を殺すこともある。極端な話をすれば、不便をそのままにした生物は、滅びる運命をたどるかもしれない。すくなくとも、不便を解消した者達よりは生き残りにくい。
歴史は時代が進むにつれて情報量が大きくなるので話題にするのは難しいが、世界で土地の奪い合いが起きた時に有利なのは、当然技術的に優れた国家だろう。これは過去の歴史が物語ってくれていると思う。
我々の生きる現代にこれを照らしてみると、日本という国はあまりいい状況にないことがわかる。無論、欧州やアメリカも一定程度不安要素を抱えている。しかし中でも日本は危険だ。科学技術に投資する金額は年々減っているし、その結果世界に影響を与える論文の数も減っている。研究者の間ではそれは共通の認識であると思う。これは、結果として今後何をもたらすだろうか。おそらく、日本の抱える不便は海外のそれと比べて相対的に多くなり、世界に置いて行かれることだろう。技術で置いていかれた集団のめぐる運命は先に述べた通りである。今は経済という形で戦争が起こっているが、日本が経済や軍事の面で弱くなった時、中国から侵略されるかもしれないという恐ろしさは常に、抱えていてほしい。技術の発展を抑制するような措置はもってのほかである。一国がそういう措置に走ったら、他国に研究者が流れてそこで技術が発展するだけだ。今は言語の壁が存在することでなんとか耐えているが、仮に言語の壁がなくなればどうなるか。地方都市と東京圏の関係を見ればある程度危機感は理解いただけるだろうか。それが世界の縮図になる可能性がある。技術の発展は止まらない。時には技術の発展や普及を止める人間が居るかもしれないが、彼らはその結果生まれる不便さによって淘汰される運命である。また、新しい技術に対して嫌悪感を抱く者もいるだろう。しかしそういう人間も、いずれ死ぬ。生まれた時から当たり前に存在するような便利なものを放り投げて、不便な生活を求める者はほとんどいない。テレビっ子はよくない、と言われた時代があった。そんな話はもう聞かない。ゲームは脳を駄目にするということをいう人がいた。ゲームは世界に残った。スマホは駄目だ、という人もいる。自動運転は駄目だという人もいる。どうなるだろうか。計算を仕事にしていた人がいた。計算機が普及した現在、計算を仕事にしていた時代に戻って職業を復活させる動きはあるだろうか。
繰り返す。技術発展は止まらない。
おいて行かれないように生きよう。
そして、技術を味方につける者は強い。


3.シンギュラリティと、前シンギュラリティ
私は以前から、前シンギュラリティを提唱してきた。

シンギュラリティは汎用人工知能が出てくることでその先の技術が加速する未来を考えている。

しかし、シンギュラリティ以前から、

先に述べた通り、「技術の発展は人を不便から解放する」、「暇人が技術を作る」、「技術の発展は止まらない」のである。前シンギュラリティは、技術の発展がずっと加速しているという思想と関係が深い。技術は今までも人の不便を解消してきた。不便が解消されると、その分人は暇になる。暇になると、技術を作る時間ができる。人口の増加と技術の発展により、人類の歴史の中で、人類全体の暇な時間は増加してきた。これからもそれは続くだろう。シンギュラリティは急激に訪れるかのように考えられているかもしれないが、今もシンギュラリティの途上であると言えるのではないだろうか。汎用人工知能が出現した先も、汎用人工知能の数が増えたり計算速度が増したりすることで、段々と汎用人工知能の暇な時間は伸びていく。指数関数に特異点は存在しない。今この瞬間も、シンギュラリティの時計は加速しているのだ。


4.何がシンギュラリティを加速させるか


これは本質的な話から少しずれてしまうように思われるかもしれないが、しかし大切なところである。詳細な技術たる枝葉末節は各自で調べていただいて、やはりここでは確実に重要な幹の部分を話す。技術発展とその加速は、三つの段階で進む。
「基礎が整備される」
「自動化と効率化がされる」
「自動化と効率化によって生まれた余剰を再投資する」
まず基礎の整備だが、人間の場合は死なない環境に居ることが大切である。自動化や効率化に専念できるように、それを制約する部分をなくしていくところがここに当たる。法的な制約、必要な資源や電力の制約、食料の制約などである。しかしここは一旦システム全体が整備されて動き出せば、後は問題ない。効率化や自動化の対象として、そのシステムは維持される。農業の効率化は、技術者の職を支え、技術者はさらに農業を効率化する。そうしたサイクルが生まれるからだ。これは、投機的な実行という意味でも大切なところである。余剰を投資すれば失敗してもなんとかなるが、余剰なく投資すれば、残る借金に苦しめられて終わりだ。基礎の整備は見落とされがちであるが、重要な部分である。
次に、自動化と効率化が成される。ここについては説明するまでもないと思う。まずは自動化する。これによって、他の自動化や効率化作業に取り掛かれる。まず最初に自動化するというのは、ある意味では基礎を固める部分である。自動化がなぜ優先されるかと言えば、理由は簡単だ。職人の後継者不足によって技術が途絶えるというような部分を危惧している。自動化は言い換えれば、システム化と言ってもいい。ノウハウを残すのだ。研究であれば、教科書を作ることで後継が自動的に生まれてくるようにするなどである。一度自動化に成功したら、次は効率化に取り掛かれる。自動化は効率が悪くてもいいのだ。これから効率がよくなるのだから。人より計算が遅いからといって計算機を作るのをやめたりしたら、今日のコンピュータは存在しなかっただろう。効率がわるいなら、これから改善すればよいのである。
最後に、効率化が済むと、人の手はほとんどいらなくなる。今まで行っていたことが減り、時間に余裕ができる。すると、次の自動化や効率化にむけてそれを使うことができる。

では、シンギュラリティに向かって世界が進んでいるとして、ここからさらにこの動きを加速させるにはどうすればよいのだろうか。ここまで読み進めてくれた読者の中には、もう答えが出ている優秀な読者もいるかもしれない。
「人類の暇な時間の総量を増やそう」
これに尽きる。暇な時間を生むには、どうすればいい?
発展途上国の抱える膨大な人口が直面する病気や飢餓、水不足の解消は、人類の暇な時間をどれだけ増やすだろうか。
人間は体を洗うのにまだ手を使っている。汗を流すのにどれだけ時間をかけているだろうか。
不健康で、寝不足で、仕事の効率が上がらない?何ができるだろうか。
健康のために栄養バランスのいい食事を考える?もっと短い時間で健康的な食事はとれないか?食材をいちいち買いに行くのか?食器を人の手で洗うのか?
人間はこの先もずっと、洗濯物を自分で畳むのか?
教育は、分かる人はもっと早く、分からない人にも丁寧に、個人に合わせた教育ができたら、子供はどれほど時間を得るだろう?遊べる時間が増えたらストレスも減るだろう。勉強が楽しくなるかもしれない。
身体に障害がある?なるほど。目があまりに悪い人は眼鏡によってどれだけ生産性を手にしているだろうか?では義手は?義足は?もっといい手段はないか?
物を運ぶ?分別する?画像認識でできないか?
電気はもっと安くならないか?バスは効率よく運用できないか?

シンギュラリティを加速させることのできるテーマは無数にある。誰もが世界に参加できる可能性を秘めているのだ。


5.今、人工知能の世界で起きていること
人工知能。それは人類の夢の一つだ。
永久機関は無限のエネルギーを生むとされて研究された。素晴らしい夢であり理想だった。研究の結果、存在しないことがわかってしまったけれど。
しかし人工知能は実現が可能である。これは、人間は原子が集まって出来ていることを理由にできる。人間は今日と昨日では全く違う原子でできている。毎日食べたものは取り込まれ、排せつによって入れ替わる。それでも思考ができる。70億以上の人類がこの世界には存在している。それらは全て違うパターンでできているし、いままで生まれてきた人物、これから生まれてくる人物もそうだ。今の君と三秒後の君は原子の並びがちがうはずだが、君が三秒後から来た君と入れ替わったとしてもきっと、同じ君として何一つ問題なく生きていけるだろう。これほど思考とは自由なのである。では、仮に原子レベルの動きをシミュレーションできるコンピュータが存在したら、それは人の思考をできるだろうか。出来ないはずがないだろう。ここまで聞いてできないと思う人はいない。
さて、では現在、汎用人工知能はどこまで来ているのか。気になるところだと思うが、まずは汎用人工知能の存在意義から説明していこう。汎用人工知能は、人と同じかそれ以上のレベルの思考が可能であると考えられる。君が隣にいる友人に、自分の仕事を任せるとしよう。その友人以上の働きをしてくれる物があったらどうか?これは、きっと君の暇な時間を多く生み出すだろう。そして、人類全体に多くの暇な時間をもたらすだろう。そして彼ら人工知能の暇な時間もまた、技術を生み出す。こうして人類は暇な時間をさらに取得していく。結果として技術はどんどん発展していく。
機械は自動化のツールとして、もっとも象徴的な存在だ。計算の自動化、人間の動きの自動化、人間が考えることの補助、とにかくなんでも、できるところから自動化が進んでいる。
では、現在流行っている人工知能は、つまりいわゆる深層学習(Deeplearning)は、どの段階にあるのかを少し話して、この著書の終わりとしたいと思う。
今までの人工知能は、与えるデータが基本的にすべて意味を持っていた。数値化してあって、そしておそらくそのデータは求める数値と関係がある。そんな関係性の中から、統計を用いて計算式が模索され、それが使われた。しかし深層学習のすごいところは、関係ないデータまでひっくるめて全部渡してしまってもなんとかなるし、しかも意味のないデータを渡しても大丈夫になったというところだ。そしてやはり一番のポイントは、画像認識が上手くなったというところだろう。今までのコンピュータには目が無かったが、深層学習によって人工知能は目を手に入れた。目があれば、今まで手探りだったり物がある場所を教えてもらってそこに手を出していたロボットも、どこに何があるのかを把握してアームを伸ばせるようになったということなのだ。これがどれほどの進歩であるか、そしてこの技術はどこまでのことができるのか。ここはこれからの時代が示してくれることとなるだろう。自動化は止まらない。技術の進歩は止まらない。効率化は止まらない。
君は、どうやって世界を加速させるのか。