rewritemath's blog

チューリングテスト再考(課題で書いた論文の公開)

 

チューリングテスト再考

知性の定義の方法と必要性

 

 動機、この論文について

 

なぜこの論文を書こうと思ったかというと、この先、人工知能、コンピュータがソフトとハードの両面で発達していくだろうと思われる。先にあるのは、人工的な知性の発明だと思われる。知性が発明されたと言っていいのはどの時点からか、人間と同程度の知性を持っているかどうかを判定する方法はあるのかという観点で、人工知能について触れたいと思ったからだ。
またこの問いには、時間的な意味をプロセッサの進化の速度で考えた場合、プロセッサが進歩したわけではないが多くのプロセッサで並列処理を行うことで人間と同等の知性をもつコンピュータが存在することが可能な時期がずれるという、大きな課題を抱えることになる。よってこの論文では、大まかにどの時期に人間と同等のコンピュータが出現するかについては触れない。
この論文は「もう一度読み解く」と違う目的を掲げている。
一般的に言われる「チューリングテスト」つまり、機械に知性があると判別するテストの再考を、最新の技術レベル、研究段階でのデータを用いて行うことを目的としている。
その第一段階として、知性の定義を試み、その後その必要性と知性の実態について論じ、そのモデリングも試みとともに知性について考察するものである。

知性とは何か
知性についての定義から本論文では触れていく。これは各個人で認識が違うことであるし、その、曖昧な定義のままでは論理的に議論を進めていくことができないだろうと考えられるからだ。また、Computing Machinery and Intelligenceでは知性の定義は避けているようであることもここに明記しておく。おそらく、その議論は知性の判定をするにおいて必要がないと考えたからだろう。
知性とは、知的な能力である。一般的な認識として、問題解決ができる能力のことで、ヒト(生物学的)だけが持っているものとしていいだろう。

 

 

第一章

生物学的分類、ヒトと、知性についての考察

ヒトの生物学的な特色からまずは迫っていく。情動というものを持つのはヒトだけだ。手の駆動する軸が、X,Y,Z軸すべてであるのもヒトだけだ。火を扱うのヒトだけだ。言語―らしきものも含めればそれを―を扱うのはヒトだけではないようである。哺乳類の中には自身の意思を鳴き声を使って仲間に伝える能力を持つ者もいる。ただ、読み書きをするのはヒトだけだ。また、自分自身というものを理解できる、自分自身と他者を区別できるのはヒトだけだ。これは、前頭前野の発達によって、共感する能力を持っているのはヒトだけらしい。

しかしながら、この観点ではヒトの持つ知性について迫るのは難しいだろう。人間が進化する過程のどこで、いつ知性を獲得したのかがはっきりとしない。また、ヒト以外に認められない特性が存在するとしても、それが知性と考えられるものかどうか不明である。
いつ知性が獲得されたのかはっきりしないということについては、知性を人間だけが持っているものと定義するということに疑問を投げかける一つの切り口になりうる。もちろん、人間だけが持つ能力が多く存在することは認めるが、人間が進化の過程でどこから知性を獲得したかを探ることは、人間に進化していくにあたってどの段階から人間なのかを定義することになってしまう。故に、その定義がもしできるとしても、その少し前の生物から人に段階的に進化を遂げたと考えるなら、知性の定義もまた、段階的に獲得される、あいまいなものと考えざるを得なくなるからである。
また、現代を生きる人間がこの人間社会以外で生活した際に、知性と定義したものを獲得できるのかについても議論が必要になってしまう。その時、人道的な観点から、人間社会を出て生活する人間のサンプルは十分に確保できないと考えるのが道理である。
以上のことから、知性について生物学的、進化論的な考察を行うことで知性を定義することは困難であり、また正確な定義は得られないと考えるのが妥当であると結論を出して、この節を終える。

 

 

第二章
哲学的観点からの考察

知性についての明確な定義は、哲学的な思考実験をここでいくつか示すことでしていきたいと思う。
哲学のテーマの一つである、自己同一性についての議論がこの場合参考になることと思う。

 

 

第二章第一節

スワンプマン(引用:wikipedia

 


スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。「私とは何か」といった同一性やアイデンティティーの問題を考えるのに使われる。スワンプマンとは沼 (Swamp) の男 (man) という意味の英語。
原子レベルである人間の同じ、人間のコピーが生成されるという思考実験である。
今回は、スワンプマンが原子単位での再現であることから、量子的な思考を用いれば未来で想定される本人の同一性は確保しきれていないという議論は展開しないでいただきたい。よって今回は、原子レベルでの再現が正確に本人を再現するのに十分適切であるとする。
同一の人がそこに存在して、その一方が知性を持っていないとしたら、知性の定義が揺らぐ。スワンプマンは知性を持っているといえるだろう。その人と同一の経験をそれまで積んできている人であるかどうかは関係ない。
故に、人生経験といったものは知性の定義には必要がないといえる。経験を実際に積んだものこそが知性を得られるのではないと考えられる。
ここから、人間と同様の構造を持った物体を原子レベルで工業的に再現することで知性を持ったものを作り出すことは可能である。知性を持ったものは人間だけだと初めに定義したから、その物体は人間であることになる。
また、同様の論で人間と同じ思考の過程をたどる異形の者も人間と定義できてしまうことから、この思考実験からは、人間のみが知性を持つということはあり得ないといえる。また、機械によって人間の持つ思考を模倣することは可能である。また、人間以上に厳密に論理的な思考能力を持つものも想定できるだろう。

 

 

第二章第二節
哲学的ゾンビ

説明の参考  wikipedia

哲学的ゾンビ
「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。又の名を、現象ゾンビ
行動的ゾンビ
外面の行動だけ見ていては、普通の人間と区別できないゾンビ。解剖すれば人間との違いが分かる可能性がある、という含みを持つ。例として、SF映画に出てくる精巧なアンドロイドは、「機械は内面的な経験など持っていない」という前提で考えれば、行動的ゾンビに当たる。

普通の人間と哲学的ゾンビの唯一の違いは、“意識(クオリア)”というものが全くない、という点である。哲学的ゾンビにとっては、それらは物理的化学的電気的反応の集合体でしかない。
「その人が自我を持っているかどうか」「本人がその前会ったときと同一の人物か」「その人の自我を持っているとして、それはその人と同じ人であることと同義か」
これらは、客観的には正確な観測を確実にすることはできない。よって、観測できる情報のみでこれらを判断することはできない。哲学的ゾンビの厄介な点は、観測する上において、その存在の自我を発見できない、かつまたその自我が存在しないという点だ。
しかし一方で本論文のテーマにはそのような存在はなんら干渉しないことがわかる。外部からの観測をする上において、どちらのゾンビも同様の振る舞いを見せる。つまり、人間の観測結果と同じ観測結果が得られる。
その観測される対象が意識を持っているかどうかは、観測に影響しないため、このような対象には知性があると判断するべきである。
したがって、自我の有無は知性を持っているかどうかとは関係がない。そして、自我が存在し得ないかどうかは客観的に観測できないことであるから、自我を持っているものしか知性を持てないとすることは意味がないということになる。
実用的観点から考えると、自我を持っているかどうかは関係なしに人または機械、ものは知性を持ちうる。

 

 

第二章第三節
人体の構成と自己同一性の観測(テセウスの船)

 


昨日のある人と、今日の同じ人を比べて、その人が本当に同じ人かどうかを判断するのは、思いのほか難しい。原子構造は大きく変化しているのに、その人の同一性は哲学的に保たれているのだ。
テセウスの船
説明参考、引用  wikipedia
テセウスの船(テセウスのふね、英: Ship of Theseus)はパラドックスの1つであり、テセウスパラドックスとも呼ばれる。ある物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、基本的に同じである(同一性=アイデンティティ)と言えるのか、という問題である。
全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問が生じる。
置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのか。
この問題が示すのは、ある人が翌日は違う原子で構成されているが同一性が保たれている問題、そして、その人をもともと構成していた原子を同じように(その人と同じ配列で)組み立てたとき、どちらがその人なのかという問題だ。また、その人が持つ知性と、もともとの原子で新しく作られた人間が持っている知性は同一であるのかどうかという問題だ。
ここで知性の本質に目を向ける。知性とは、ものとしてそこに存在するものではない。知性は、原子の集合が生み出すパターンに過ぎず、違う原子であっても、同じ役割をはたしてパターンを構成すれば、それは同じ知性であるといえる。
また、ある人(仮にAとする)の知性は、その人の成長により変化するものであるから、Aの知性はこれ一つと定まるものではない。観測の上では違いが観測できないレベルでの変化は言うまでもないが、ある日とその次の日程度の観測結果の変化は、知性が同一であることを示すことが可能な程度の変化と言える。
故に、人を模倣した人工物が、人と一定以上近い観測結果を生み出すなら、それを知性と認めてよいことになる。
人間に量子レベルで再現する必要がないだけでなく、原子レベルで同一のものを生成する必要さえない。

 

 

第三章
知性の定義の必要性

 


ここまで、知性というものが定義されるという前提で話を進めてきたが、どうやら、知性をどのように定義しても、「生物にしか知性は持てない」「人間にしか知性はもてない」というような前提から定義するようなことをしなければ、どのように広義であっても、理論上観測に問題はないようである。また、そもそも知性と定義する必要はほぼないと言っていいだろう。知性というものは極めてあいまいなもので、誰一人としてこれこそが知性であるというものを定義することはできない。定義したとしても、それが万人の理解をえることは不可能だろう。
故に、チューリングテストは、一般的に言われる知性を持っているかどうかでその対象を評価するものではありえない。
チューリングの論文には、
プロジェクト杉田玄白 協賛テキスト 日本語訳: 新山 祐介)
まず始めに「機械」とか「考える」という用語の意味を定義しないと いけない。この定義は、なるべくその言葉のふつう の使いかたを 反映するように作られてしまうかもしれない。 しかしこういった態度は危険だ。 もし「機械」や「考える」と いう単語の意味がそれらの一般的な用法を 調べて明らかになるのなら、つぎのような結論になってしまうのは 避けら れないからだ。つまり、「機械は考えることができるか」 という問いの意味とそれに対する答えは、ギャラップ社の世論 調査のような 統計的調査によって求められるべきだ、ということになる。 そんなのはバカらしい。
とある。この論文の主旨は、チューリングテストの提示ではなく、人間のようにふるまう機械が存在する可能性について論じるものであるから、考えることができる機械が仮定されるとき、「考えることができる」とは何かを、統計的な調査つまりインタビューによる多数決のようなものによって決定するというようなことはバカらしいといっているのだ。
故にチューリングは「考えること」の定義は避けている。

 

 

第四章
チューリングテストにおける観測の手法 

 

 

第四章第一節

テストの前提

観測者

観測者は、人間であるとする。機械であるならば、そのテストに合格する機械を作ることは、アルゴリズムを解析すれば容易で、かつ、解析して設計した実験対象は、そのアルゴリズムに特化したものになってしまい、汎用的な知性と呼ぶに相応しくないものになってしまう可能性が高い。
ミス
知性をもし、人間の有するものであると定義するのであれば、そのテストを受けるのは機械だけにしてはいけない。何故なら、以下のような例が考えられるからである。
合格の条件を、
あるテストにおいて、観測者の2/3に人間らしいと判断される機械が合格する
とする。しかしもしその時、
人間はその試験を受けなかった場合、もし人間がその試験を受けると、1/3しか人間らしいと判断されない
という場合が考えられる。
ある人間を、人間らしくないという表現があるように、人間が人間らしいと判断されないようなテストを、人間らしいと判断されるような機械は、人間より人間らしいということになる。しかし、人間より人間らしい機械というものは、人間の実態を反映している機械とは言えない。したがって、その機械は本当は人間らしくないことになる。
故に、判断の基準は、人間らしいかどうかではなくて、かつ人間の振りをすることが目標ではなくて、人間に近い結果、スコアを出せるものを、人間らしいと判断するべきである。
しかし人間らしい機械であることは論理的な思考ができる機械であることとは違う。

 

第四章第二節
人間とコンテストを行う方式についての考察


人間の振り、又は機械の振りをすることを考える。人間の振り、又は機械の振りがよりうまくできれば高得点というルールでコンテストを行う。
しかし、この場合人間より人間らしくふるまってしまっては人間とは実態のはなれたものになる。そこで、次のルールを例として提案する。

 

第四章第三節
コンテストのルール

 


人間と対戦する形式にする。人間と機械を一定数用意し、コンテストを行う。人間、機械の役が、機械チームと人間チームの双方に均等に振り分けられ、与えられた役割で自分の役になりきる。内容に制限をせず、時間も十分とって、会話を行う。ただしこの会話は、コンピュータを用意してそのコンピュータで別室で個々の部屋から文字のみを使った会話になるように通信する。そして、参加者の映像も流さない。
会話が終わったら、参加者は会話相手が、何になりきった、何なのかを当てる。
全員分、それぞれの正体と役は知らない。
相手チームのメンバーの正体を当てることができたら加点、(ただし本人には加点されたかどうか告げない)相手チームのメンバーに正体を当てられたら減点する。
役は会話が一巡したら交代する。
人間側、機械側の全員のスコアを合算して、そのスコアが高いほうを勝利とする。機械側の勝利が統計的に優位に人間を超えたらその機械を合格と判定する。
この方式の欠点
機械は、たとえば、性別を聞かれた場合に正確な返答ができるだろうか。あなたは身長が高いですか?とか、この(コンテストで公式に採用されている)キーボードがどこの会社のものか当ててくださいとか、そういった質問に答えるには、カメラと画像認識の機能が必要になってくる。

 

 

第五章
知性の実態

 


人間の脳はどういったものかということを完全にモデリングすることが可能であれば、人間の脳の活動が記述可能であるということである。
この場合、人間の脳は複雑な関数であるとみることができる。膨大な量の情報(引数)を受け取って、内部で脳としての処理を施し、そして膨大な情報をアウトプットする。
インプットされる引数は、五感によるものが基本で、他に体内の神経、ホルモンの影響を受けている。
ここで強調したいのは、五感らによる認識が脳の構造を形作っているということである。
アルツハイマー認知症では、一定数のニューロンが保持できていないと急激に動作の安定性が失われる。高学歴(元の論文では大学卒業)な人ほどアルツハイマー認知症の発症は遅れるが、発症してからの進行は急速である。同様にこれはニューラルネットにもみられる現象だ。一定のニューロン数が確保できなくなると精度が急に落ちる。ニューラルネットと脳が同じようなモデルで説明できるとするならば、学習の深さを深くしてかつ多彩な学習の一部として使われるニューラルネットニューロンの数が予備力の値までは精度を一定に保つと考えられる。(認知予備力cognitive reserve)
これは、一つのニューロンは複数の役割を担うということによるものだ。したがって、その役割を分離してモデリングするのはほぼ不可能であるといっていい。ただし、人間の脳のニューロンモデリングするのが不可能であるだけで、ある目的のために専門化されたニューラルネットの中のニューロンを生成する事はできる。ニューロンを生成することは可能であるが、ニューロンを設計することは非常な困難を伴うだけでなく、人間の思考回路の完全なコピーを生み出そうとするのでなければ意味がない。
ニューロンを設計することは非常な困難を伴うというのは、ある狭い目的だけのために役割を持つニューロンは存在しないからである。先程のアルツハイマー認知症の研究の例に見られるように、人間の持つ感情は、体調や天気、気温等の外部環境や内部環境によって左右されるのことが脳科学や心理学の研究で分かっている。
故に、人間が理性的だと自負を持って判断している事象の中には、多くの理性的な判断がうまくできていない事象が含まれることになる。

 

第六章
意識の存在

 

中国語の部屋(引用:wikipedia
 中国語の部屋(ちゅうごくごのへや、Chinese Room)とは、哲学者であるジョン・サールが1980年に “Minds, Brains, and Programs(脳、心、プログラム)” という論文の中で発表した思考実験。中国語を理解できない人を小部屋に閉じ込めて、マニュアルに従った作業をさせるもの。
~略~
小部屋全体がコンピュータを表し、マニュアルに従って作業する英国人は、プログラムに従って動くCPUに相当する。
中国語の部屋に対する反論
サールは中の人が中国語を理解していないことから対象は中国語を理解しているとはいえないと論じているが、チューリング・テストの観点からすると、そう断定するためには中の人間だけでなく、箱全体が中国語を理解していないことを証明しなければならないことになる。すなわち、中の人とマニュアルを複合させた存在が中国語を理解していないことを証明しなければならない。
一方、知能の基準となっている人間の場合でさえ、脳内の化学物質や電気信号の完全な解析が行われず、知能の仕組みが明らかになっていないのだから、中国語の部屋も、中身がどうであれ正しく中国語のやり取りができている時点で中国語を理解していると判断してよいのではという、チューリング・テストの観点からの反論も存在する。以上のような反論に対してサールは、中国語の部屋を体内化して、すなわち部屋の中にある中国語のマニュアルを中の人がマスターし、中国語のネイティヴのように会話ができたとしても、なおその人は意味論的な見地からは中国語を理解していないと主張している。
さて、この中国語の部屋問題に対するチューリング・テストの観点からの反論と、ここまで見てきたニューラルネットの仕組みからして、脳は関数であると判断でき、また出力に一定の時間を要するものだと考えることができる。とすると、関数に意識はないのだから、意識があるように客観的に判断できてもそこに意識は存在しない事になる。つまり、そもそも人間の考える、人間が意識というものを持っているというのは幻想である。少なくとも、意識の定義を人間の実態を先に観測してその後で行うということをして意識を人間の有するものとする以外に人間が意識を持つことは不可能である。
 また、これに正しく論理的に反論することは不可能である。なぜなら、人間の意識を客観的に正確に観測することが不可能であるからだ。
 故に、人間が持つ意識は、客観的に判断されることによってしか存在を(証明可能な範囲において)定義できない。したがって、客観的に観測される意識に見えるものは意識と定義するより他にない。

 

 

第七章
ニューラルネットによる脳のモデリングの最新研究


単一細胞記憶
 実は、ニューラルネットの世界に一石を投じかねない研究が発表されてしまった。つい昨年(2015年)のことである。しかもそれが世界初の研究成果で、かつ発見したのは名古屋大学の教授である。
古くから記憶・学習の成立機構には様々な仮説が提案されてきましたが、現在のところシナプス説が最も有力です。シナプス説とは、記憶や学習が多細胞間の相互作用によって支えられており、特に神経回路網内でのシナプス伝達効率が変化する「シナプスの可塑的変化」によって成り立つとする説です。現在までこの説は多くの実験的、理論的な支持を得ています。 今回の研究チームの解析から、神経細胞の中には、シナプス結合による他の細胞との相互作用を断絶した状態でも、単一細胞として記憶を形成できる能力を持つものが存在することが示されました。この研究成果は、神経細胞間の相互作用を基盤とする神経回路レベルでの記憶以外にも、単独の神経細胞レベルでの記憶(単一神経細胞記憶)が存在することを実証するものです。
本研究により発見された単一神経細胞記憶は、従来の定説とは異なる、新規の記憶メカニズムです。また、本研究で開発された実験系は、単一神経細胞記憶を解析することができる世界で初の実験系です。この新技法を用いることで、未だ謎の多い記憶・学習の分子メカニズムの解明に新たな道が拓けるものと期待されます。
~略~
古くから“記憶の座“としてシナプスが注目され、複数の細胞が協調して機能することで記憶を蓄えると考えられてきました。しかしながら、本研究により、一部の神経細胞は、細胞単独で物事を記憶するということが初めて示されました。この研究成果は、将来の神経科学研究に対し、神経ネットワークだけなく、個々の細胞1つ1つにも記憶が宿り得るという新概念を与えるものであり、長年にわたり生物学の課題とされてきた脳神経系における記憶メカニズムの完全解明に大きく寄与できるものと考えられます。
この研究から、一部の神経細胞はその細胞内部で記憶を保存できることが示された。ニューラルネットでこの成果をもとに脳の活動を表現するなら、ニューロンの内部にニューロンの結合を生成するモデルの生成を行うのが脳の再現としては正しいことになる。しかし、数学的なモデルとしてはこの必要はなく、従来のモデルでもほぼ同じような再現が可能だ。しかし、層をスキップしたり、バックしたりという方法を取る必要がある。(そんなことしたら従来の方法とは呼べないと言われたらそのとおりかもしれないが、そこは大した問題ではない)
驚くべきことだが、既にこのモデルが全く違ったアプローチで既にモデル化されている。
この実現されていたモデルは研究成果を適応した場合に生まれるモデルと同様のものだ。少しだけ解説すると、層が増えることで次の層に向かう際に複数のニューロンに与えられた情報を割り振ってしまうことを原因として、上の階層(入力に近い階層)の結果が下に降りきる前に発散してしまうことで精度が落ちてしまう問題の解決のために生み出された手法である。一ニューロンの中に複数の層を格納することでスキップを行うことになり、その層の間の情報の移動では情報の発散を防げる。これによって層が増えるニューラルネットにおいて精度が落ちてしまう問題を解決することができる。

 

 

まとめ

そもそも意識が存在しない又は存在は客観的にしか証明(又は観測)できる形で定義できない。という結論に至った。また、脳は関数とみなすことができ、かつ関数としてニューラルネットとその応用的手法や最新の手法、これから進歩していく手法を用いて完全に記述することが可能であると考えられる。
今まではニューロンシナプスによって構成される関数が脳の活動を示していると考えられてきたが、それだけでは正確な出力をするための関数としての記述が難しく、そして発散しないための対策もなかなか難しいことがわかった。
今後の課題として、層の多いニューラルネットワークにおいて上の層の情報が発散することに対する対策として考えられる、重み(バリュー)が低い繋がりの廃棄の有用性の検討が挙げられる。一方これは、人間に見られる、ものを忘れることにつながってしまい、この実装にはかなりの配慮が必要である。
ニューラルネットワークの実用性は高いが、利用するには正確性へのある程度の妥協を必要とするものであるから、人間以上の正確性ということを一つの基準として、ミスも人間と同様に許しながら利用していくのが正しい利用方法である。

出典、引用先、注意

 

 

翻訳前の論文の権利
Oxford University Press
チューリングの死後62年以上経過しているので、権利切れ

異本「計算する機械と知性について」
福井県立大学・経済学部 田中求之 (Motoyuki Tanaka)
http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/turing_ihon.html

チューリング・テスト再考
(Reconsidering Turing Test)
福井県立大学・経済学部 田中求之 (Motoyuki Tanaka)
http://mtlab.ecn.fpu.ac.jp/myNote/reconsidering_turing_test.html

プロジェクト杉田玄白
http://www.genpaku.org/

Computing Machinery and Intelligence
計算する機械と知性
日本語訳: 新山 祐介 (yusuke @ cs . nyu . edu)
http://www.unixuser.org/~euske/doc/turing-ja/index.html

高学歴な人ほどアルツハイマー発症後の記憶喪失がより速く進む(yahoonewsのリンクが消えていたのでそのウェブ魚拓
https://www.newretirement.com/retirement/alzheimers-memory-loss-faster-among-well-educated/

同じく上についてのブログ記事
http://asobi.info/noriko/archives/2008/08/27005819.html
そのブログ内の出典
http://www.medscape.com/viewarticle/564692

ニューラルネットが任意の関数を表現できることについて(本論文中では、このことから同様に人間の脳は巨大なニューラルネットの塊であるから、ある関数であり、入出力の口が多くあるものであると書いている)
https://nnadl-ja.github.io/nnadl_site_ja/chap4.html

ニューラルネットが任意の関数を表現できることの証明
Approximation by superpositions of a sigmoidal function
http://www.dartmouth.edu/~gvc/Cybenko_MCSS.pdf

単一神経細胞による記憶(Single-cell memory)を世界で初めて発見
http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/researchinfo/upload_images/20151225_sci.pdf

DeepLearning研究 2016年のまとめ
http://qiita.com/eve_yk/items/f4b274da7042cba1ba76?1481944429400=1

ニューラルネットの層のスキップについての解説
http://qiita.com/supersaiakujin/items/935bbc9610d0f87607e8

注意:本論文では、Artificial Neural Networkを単にニューラルネットと端的に訳しています。ニューラルネットワークと単に訳すことの多いものですが、この訳は正確には、人工ニューラルネットワークとして生物の脳のそれと区別するべきではないかと考えます。しかし、議論が煩雑になることを避けるため、本論文では人工ニューラルネットワークニューラルネットワークの実際のモデルとして考え、ニューラルネットという同一の訳にいたしました。示されているものがどちらか分からない部分がもしあって、質問したい場合は著者までお願いします。
また同様に、ニューロンについても、モデルとしての電算上の仮想ニューロンと実際のニューロンを同じニューロンという言葉で記述していますのでこれも同様の注意をしておきます。
 ニューラルネットが脳を模倣して作られたものであるという認識は誤解を呼ぶという指摘があるので一言。ニューラルネットは人間の脳をモデルにしたものの一形態である。現実にはニューラルネットの考え方を利用してそれを関数として用いて問題の解決に役立てる場面もあり、それについては人間の脳を模倣することからは離れている。よってそういったタイプのニューラルネットは本論文の取り上げるものの対象外である。